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用賀とプロレスの意外な関係 〜 後編〜【世田谷とプロレスシリーズ1】

前編中編と、用賀とプロレスの関係を解いてきた本連載。
最後はUWFインターナショナル設立からの歩み、そしてプロレス史に残る数々の出来事を紹介しよう。

UWFインターナショナルのその後

プロレスの格闘技路線を推し進めた第二次UWFだったが、結局、前田日明の「リングス」、藤原喜明の「プロフェッショナルレスリング藤原組」、そして高田延彦の「UWFインターナショナル」へと分かれていく。

「UWFインターナショナル」は、かつてのアントニオ猪木のように高田延彦というスターを中心に据えて興行を行っていった。だが、スター選手の頭数は足りない。それを乗り越える方法が、現在の「炎上商法」に近い過激な演出だった。

その中の有名な事件の一つが「1億円トーナメント」だった。

ある人には事前に伝え、ある人には全く言わない、入念な仕込みとガチを織り交ぜながら演出を行っていくプロレスの世界にあって、「1億円トーナメント」は全くのガチ、寝耳に水だった。

「若手社員の思い付き」から、ある日突然、机の上に1億円を並べ、各団体の有名選手への挑戦状を手にした鈴木健氏が、団体を超えたトーナメント戦の開催を宣言したのだ。

このお金はすべて借金であり、付き合いのある信用金庫などからかき集めたものだったという。専門誌の表紙を飾り、大きな話題を集めた「1億円トーナメント」は根回しをしてないので、失敗に終わったが、「さすがUWFインターナショナル!またやってくれた」と言われたプロレス界の大事件だった。

だが、こうした演出に激怒していた人物がいる。当時、新日本プロレスでマッチメイクを担当し、「現場監督」と呼ばれていた長州力だ。

レスラーとしても絶頂期にありながら、客席をいかに沸かすかを考えていた長州にとって、当時のUWFインターナショナルの行動は「不確定要素」であり、雑音のようなものだったのだろう。

そんな長州力と、UWFの刺客、安生洋二が交流試合で対戦したのが、1995年の東京ドームだった。

日頃の遺恨から怒っているように見えた長州だが、試合後のインタビュアーの「キレましたか?」の質問に対して「キレちゃいないよ」とコメント。

後にこれがお笑いタレント長州小力によってモノマネされ、有名な言葉となる。

そして、UWFが残したもう一つの出来事が「グレイシー道場破り事件」である。

当時、格闘技界に激震が走る出来事があった。ある大会でいきなりグレイシー柔術という謎の武術団体のホイス・グレイシーという選手が優勝したのだ。

その情報はUWFインターナショナルまで届き、「プロレスこそ最強」をうたう彼らは、すぐさま反応。またもや刺客である安生洋二をロサンゼルスのグレイシー道場に送り込む。

ロサンゼルスに着いてからの流れについては諸説がある。

前日の忘年会でかなり酔っていた、飛行機でお酒を飲みすぎてしまったが着いてすぐに道場にいった、交渉係のつもりが、事前にきちんと話し合いが行われなかったのでいきなり試合になった、など色々な理由はあるが、結果として安生洋二は敗れ、血まみれになり、それが専門誌の表紙を飾る事件となってしまう。

当時の安生洋二は、道場でもかなり強い選手として知られていた。そのため、この敗戦は偶然の出来事なのか、本当にグレイシーは強いのか、という議論をよんだ。

その決着をつけるために、3年後、高田延彦とグレイシーが第1回目となる「PRIDE」で戦い、高田延彦が破れ、プロレス最強伝説に疑問符が付いてしまう。

その後にUWFインターナショナルの若手レスラーだった、桜庭和志が「グレイシーハンター」として次々にグレイシー一族を破る、という名勝負が生まれ、プロレスファンの留飲を下げたのだった。

そうした総合格闘技が生まれる前夜に起きた、プロレス界の大きな出来事である、1億円トーナメントや長州力の「キレちゃいないよ」発言、グレイシー一族対プロレスの戦いはすべて、UWFインターナショナルが起こした出来事であり、UWFインターナショナルが1996年に解散した後も、しっかりとプロレス史に刻まれているのだ。

そんなかつての「UWFインターナショナル」の事務所は、現在、焼き鳥店となっている用賀の「市屋苑(いちおくえん)」の場所だった。

勘が良い方は気付いているかもしれないが、この「市屋苑」という変わった店名の由来は、あの一億円トーナメントから来ているのだ。

この店は、高田延彦に新団体設立を決意させた男、鈴木健氏がオーナーを務める店であり、UWFインターナショナルの刺客だった安生洋二は、現在週に4日焼き鳥を焼いている。

さらに同じくUWFインターナショナルに所属していた金原弘光も「かねはら整骨院」を用賀に開設するなど、いまなお用賀にはプロレス、特にUWFインターナショナルの足跡がそこかしこに残されているのだ。

現在は静かな住宅街である用賀の街だが、かつてはプロレスラーたちが行き来し、書店で偶然出会って立ち話をしたり、みんなが知っているお店で団体の未来について語り合っていたのだ。

もはやプロレスの聖地と言っても過言ではない、用賀の街で聖地巡りをしてみてはいかがだろうか。

年表で見る用賀とプロレス

1984年2月

タイガーマスクを引退した佐山聡が、世田谷区瀬田にタイガージムを設立

1984年3月

第1次UWFが設立(用賀の道場で練習を重ねる)

1985年12月

UWFと新日本プロレスが業務提携

1988年2月

前田日明が長州力の顔面を蹴った事件で解雇される

1988年5月

第2次UWFが設立

1990年12月

第2次UWF解散

1991年1月

前田宅での打ち合わせで意見が分かれ、前田日明が解散を宣言

1991年1月

解散後について安生洋二、宮戸優光の両レスラーが高田延彦に連絡し、二子玉川のつばめグリルで話し合い新団体設立を説得する

1991年1月

用賀の文房具店の鈴木健氏が高田延彦に独立をうながす

1991年5月

UWFインターナショナルが用賀で設立される

世田谷とプロレスシリーズ