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用賀とプロレスの意外な関係 〜世田谷とプロレスシリーズ1 〜【中編】

前編では前田日明とタイガーマスクの出会いから、UWFと用賀の練習場までを紹介した。
中編ではUWF解散から新たな団体設立までを紹介しよう。

UWF解散と二子玉川のつばめグリル

そんなUWFのコンセプトは、革新的ではあったが、関節の極めあいを中心とした戦いはやはり地味だった。またテレビ放映がないことも大きく、次第に団体運営は行き詰ってしまう。

そして、UWFは新日本に業務提携という形で合流する。しかし、蹴りなどを多用していた彼らを新日本のレスラーは警戒。2年間の提携期間の後に転機となる事件が起こる。

前田日明が試合中に長州力の顔面に蹴りを入れ、長州力が重症を負ってしまう。これに対して新日本プロレスは前田日明を解雇処分としたのだった。

これを機に、業務提携中だったUWFの面々は、再び独立を果たす。

これが第二次UWFの始まりだった。

かつては「猪木が来ると思ったら来なかったから、残ったメンバーで手探りで試合をしていた」彼らだったが、第二次UWFは、自らの意思をもって興行をうっていった。

その後、UWFは熱狂的な人気を得ることとなる。テレビ中継はないものの、試合のビデオを販売し、全国の会場は超満員となった。客席には、糸井重里などトレンドに敏感な人が集まり、「UWF信者」と呼ばれる人たちが集まり、中心人物である前田日明は、当時流行の最先端だったパルコの宣伝に登場するなど、時代を象徴する人物となっていった。

それだけの人気を集めた彼らだが、それが悪い方向に向かってしまう。レスラー側が興行収益をスタッフが使い込んでいると訴え、団体が活動を停止してしまったのだ。

そして、中心人物の前田日明は、自分たちで新しい団体を作ろうと選手を自らの部屋に集める。

「みんなで一致団結してがんばろう」という決起集会のつもりだった前田日明に対して、自分たちの「職場」が無くなった選手たちは動揺を隠せない。

さらに当時は「メガネスーパー」の社長がプロレスにハマり、新団体を設立。そこが選手たちに大金を用意して勧誘しているという噂もあった。

上の人間と下の人間が見えている景色の違いもあり、意見はまとまらず、決起集会のはずが前田日明の口から解散が告げられてしまう。

その後、UWFに所属していた各選手が今後に向けて動いていく中で、若手レスラーの安生洋二と宮戸優光が話し合いを行う。

一方、当時用賀に住んでいた高田延彦は、途方に暮れ、自らのファンクラブの会長であり、用賀で文房具店を営んでいた鈴木健氏に相談すると「良い機会だから独立して自分の団体を作るべきだよ」と言われる。

そして、安生洋二、安生洋二の両選手が「話したいことがある」と高田延彦に声をかけ、3人が集まったのが、二子玉川玉島屋の「つばめグリル」だった。そして、この話し合いの結果、ファンクラブ会長の鈴木健氏を経営陣に加えて設立されたのが「UWFインターナショナル」という新たな団体だったのだ。

UWFが解散し、これからどうするのか社内で何度も話し合う中で藤原喜明は「用賀の原っぱで試合をすればいいよ」とみんなに語ったという。実際に現在の用賀の駅ビルである、ビジネススクエアが建つ前には、あの場所にプロレスのリングを設置し、特別試合も行われていたという。

「UWFインターナショナル」の事務所は、鈴木健氏が管理していた用賀駅のそばの建物の2階だった。事務所とはいえ、「UWFインターナショナル」というプロレス団体が用賀に存在していたのだ。

・・・後編に続く・・・