過去2回にわたり、用賀とプロレスの意外な関係について書いてきた。
世田谷区の閑静な住宅街である、用賀の街に点在するプロレスの聖地ともいえる足跡の数々。
そんなこの町に、もう一つプロレスファンなら「おぉ!ここが!」と驚く場所がある。
それが用賀駅から徒歩6分の瀬田の交差点そばにある、かねはら整骨院だ。
こちらの院長である金原弘光氏は、UWFインターナショナル、キングダム、そしてリングス、PRIDEで活躍した現役のプロレスラー、格闘家なのだ。
1970年生まれの金原氏は、タイガーマスクに憧れてプロレスラーを目指して上京。新日本プロレス学校で山本小鉄氏の薫陶を受け、その後高田延彦氏率いるUWFインターナショナルに入団。プロレスラーが総合格闘技に挑戦していく時代の先駆者として、ミルコクロコップ、ノゲイラ、ヴァンダレイ・シウバなど、K-1などの舞台で活躍した猛者たちとも対戦。30年以上現役を続けてきたプロレス界の功労者でもある。
過去の記事で紹介した用賀駅の駅前にある焼き鳥店「市屋苑」のオーナーである鈴木健氏と同店で働く安生洋二氏とはUWFインターナショナル時代に同じ釜の飯を食った仲間となる。その金原氏が2016年に開院したのが、かねはら整骨院だ。
そんな金原氏に世田谷の思い出やUWFインター時代の話、そして現在の整骨院について話を伺った。
土地勘のある世田谷で整骨院を開く
ーなぜ用賀で整骨院を開くことにしたんですか?
僕はもともと野毛にあった新日本プロレスの道場で山本小鉄さんがやっていた「新日本プロレス学校」に通っていたから、二子玉川とかに昔から馴染みが深かったんだよね。
18歳で上京した時に住んだ場所も砧本村という二子玉川からバスで行ったところだったし、それ以来、ずっとこの辺に住んできたから、整骨院を開くなら土地勘がある世田谷かなと思って、この場所にしました。
ー2016年に開院してから4年が経ちますがいかがですか?
最初はヒマな日も多かったから商売は難しいなと思ったけど、いまは予約で埋まるようになりました。そういう意味では、だいぶ安定してきたかなと思います。
ー通っている方にはプロレス関係者も多いのでしょうか?
おかげさまでプロレスラーや格闘技関係の方などたくさん来てもらっていますね。
ー「市屋苑」の鈴木さんや安生さんもこの街にいますが会うことはありますか?
たまに「市屋苑」に食事に行ったりしますよ。安生さんは僕の先輩ですから。あの人はすごい人ですよ。あの人がヒクソンの道場破りに行ってから格闘技の歴史が動きましたからね。
ー世田谷では全日本プロレスの川田利明さんがラーメン屋をやっていますが交流はありますか?
川田さんは、スポーツジムがむかし一緒だったから、交流があるし、川田さんのお店にも何回か食べに行きましたよ。
ーそこはつながっているんですね。ちなみにこの近所でよく行く店はありますか?
この辺だとまず二子玉川近辺ですね。通勤がバイクだし、18歳で上京した時に高島屋の掃除のバイトをやったり、二子玉川のとんかつ屋でバイトしてたので、やっぱり二子玉川が多いかな。あとはこの近所でも豚丼の「ブタリアン」とか環八沿いの「豊受オーガニクスレストラン」とかもよく行きますね。
プロレスを始めたきっかけはタイガーマスク
ーそもそもプロレスを始めたきっかけはなんですか?
もともとジャッキー・チェンが好きだったんだよね。それで映画の宣伝だと思うけど、ジャッキー・チェンとタイガーマスクが映っている写真を見て、そこでタイガーマスクを知って、当時は金曜日の20時にテレビでプロレスをやっていたから、そこでタイガーマスクを見るようになったのがきっかけ。あの頃はタイガーマスク、あと ダイナマイト・キッド を見てすごいなと思いましたね。それが小学校6年生ぐらいでした。
ー実際にプロレスの世界に入ったのはいつ頃ですか?
高校を卒業した後の18歳の時。東京に出てきて、新日本プロレスの入門テストとか受けるんだけど受からなくて、それから色々なテストを受ける中でUWFインターナショナルのテストを受けて、そこでようやく受かりましたね。
僕はあの団体の一期生になります。まだあの頃は団体全体でレスラーが10人ぐらいしかいなかった頃ですね。
ーそれだけ人数が少ないとけっこうすぐにデビューですか?
いやいや、最初はもう毎日すごい過酷な練習して雑用して、そんな日々を過ごして10カ月ぐらい経ってようやくデビューですね。それでも僕は早かった方ですけど。
いやーあの頃の練習はもう二度としたくないですね。あの時は20人テスト受けて4人受かって、その後残ったのは僕1人だけでしたからね。
僕の後輩は結局、40人、50人ぐらいいたけど、夜逃げしたりとか、なかには1日で逃げちゃう人もいましたよ。あの時代は上下関係も厳しいし、雑用もあるし、大変でしたよ。
当時は高田さんの付き人でしたから、お風呂に入れば背中を流しますし、すべてに気を使ってたから気の休まる時は無かったですね。高田さんの練習相手も僕です。もちろん偉大なレスラーですし、身体能力もすごくて、本当に光栄なことでしたけどね。
高田さんの付き人は、僕の後は高山くん(高山善廣氏)がやって、そのあとは桜庭(桜庭和志氏)が付き人をやってましたね。
ーUWFインターという存在をいま振り返ってみるといかがですか?
やっぱりUWFという団体があったから、いま真剣勝負の世界ができたわけでUWFが無ければ、いまのRIZINとかPRIDEとかは無いですよね。その辺りの源流はUWFにあって、そのきっかけとなったのが、安生さんの道場破りなんですよね。
あの道場破りからPRIDEが始まって、そこから総合格闘技がメジャーになっていったわけですから。それはもう今となっては歴史なんだけど、僕はその真っ只中にいましたから。僕らの頃はルールも統一されてないし、体重別でもないし、無差別でなんでもありの時代でしたね。
いっぱいケガをしたから分かることがあるんです
ーなぜ整骨院をやろうと思ったんですか?
ぼくは30年以上現役生活を続ける中で、色々なケガをしてきました。それを治すための治療費もたぶん何千万とか使ってきましたし、治療のために日本全国色々なところに行きました。いまも指が曲がってますし、腱も切れてます。首のヘルニア、腰のヘルニアもやったので、そういう経験に基づいた治療をしています。
―ケガをたくさんしたから分かることも多いということですね
まぁしてないケガはないですからね(笑)。他の人とは経験値が違いますし、数々の治療を受けた経験も自分の中には残ってますので、それは活きてますよね。例えば整形外科に行っても薬の処方しかできないような人がいて、うちに通ってもらったら治ったりとか。そういうのは嬉しいですよね。
ーこちらに来られるお客さんの層はどんな割合ですか?
年齢層はバラバラですね。男性も女性も、みなさん来ます。ギックリ腰とか、首を寝違えたとか。あとはスポーツ選手も多いですね。部活で足を痛めたとか。
―そういう明確な自覚症状が無くても例えば体がだるい、とかで来る方はいますか?
友達の付き添いで来て、その友達が「あまりに良いからおまえもやってみろ」なんて言って、言われた人は「僕は痛いところないから」と言っていたのにやってみたら「体が軽い!」って驚いていた人がいましたね。
その時は骨を正しい位置に戻して、骨盤の位置も正しい位置にしたのですが、そうすると終わった時にぜんぜん違うわけですよ。あそこが痛い、ここが痛いという事が無くても、人間は日常生活で左右対称に使うわけではないですから、右でばっかり荷物持つとかしていれば、少しずつ体にズレは来ますよね。そういう気付かない歪みを正しい位置にするだけで、ぜんぜん違いますよ。
自らのケガの経験を活かした治療で用賀の街で多くの支持を得ている、かねはら整骨院。現在は完全予約制で営業を行っている。気になる方は連絡をしてみてはいかがだろうか。
かねはら整骨院
■住所
世田谷区玉川台2-1-15 矢藤第一ビル1F
■電話番号
03-3700-7713
■受付時間
10~13時、15~19時
■休診
火・木・土曜日の午後、祝日(日曜日が祝日の場合は月曜が休診日)
※現在は完全予約制、施術は金曜日は18:00まで、日曜日は17:00まで。時間外応相談。
■URL
http://kanehara-seikotsuin.com/
■アクセス
東急田園都市線用賀駅から徒歩約5分
世田谷とプロレスシリーズ
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1978年生まれの編集者。世田谷区用賀在住。子どもは長男(7歳)、次男(4歳)の二人。歴史と散歩と釣りが好き。最近は子どもと多摩川で釣りをしたり、プロレスの歴史を調べることにハマっている。