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音楽を愛する店主のこだわりが詰まった世田谷のライブバー「metta(メッタ)」

祖師谷大蔵のライブバーmetta_ライブ画像

祖師谷大蔵にオシャレなライブバーがある、という話を聞いた。ライブハウスといえば黒を基調にした空間をイメージするが、そこは木目調だという。一体どんなお店なのだろうか。まずは取材だと告げずにお店を訪れてみることにした。

生演奏が楽しめるバー

そのお店は、小田急線祖師谷大蔵駅から徒歩5分ほどの商店街の地下にある「metta(メッタ)」というお店だった。ライブの日とバーとして営業している日があり、訪れた日はバー営業だった。

座ってお酒を注文すると、カウンター席で笑顔でお酒を飲んでいた50代ぐらいの男性が「今日は少し練習がありまして、うるさいですがすいません」と声をかけ、立ちあがってステージに上がりサックスを吹き始めた。

今度は先ほどまで隣にいた若い男の人が立ちあがり、ピアノの前に座って弾き始める、いつの間にかジャズの練習が始まっていた。音の調整を行っていることから、近いうちにステージに立つ予定のバンドらしい。

思いがけず生演奏が楽しめたその日は、店主の大須賀久人さんと少し会話をして、お店を後にした。確かにとてもオシャレなお店だった。一体どういう経緯でこんなお店ができたのだろう。

後日改めてお店を訪問して店主の大須賀さんに色々と話を聞いてみることにした。

本場でブルースを聞くほどの音楽好き

祖師谷大蔵のライブバーmettaオーナー大須賀久人氏

ライブバーを始めるぐらいだから、かなりの音楽好きだろうと、まずは音楽の話から聞いてみる。

「中学生ぐらいから兄の影響で音楽を聴き始めました。最初から洋楽ファンでしたね。クイーンとか好きだったな。海外の音楽が好きで、そのうちに自分もプレーヤーになった。選んだ楽器はドラムでしたね。当時から前に出るよりは裏方の方が好きだったんだと思います」

やがて東京の大学に進学。そこで音楽のサークルに入り、音楽漬けの日々を送る。その後、製薬会社に入社すると大須賀さんは営業職につく。

「30歳を前にして係長試験を受けろとか言われるようになって、絶対嫌だなと。管理職とか性格的にも向いてないのは自分でも分かるので」

そこで大須賀さんは、仕事を辞め、学生時代に働いていた横浜の清掃会社でアルバイトを始めることにした。その後、東京にいた兄の紹介で焼き鳥店でのアルバイトも始め、同時に掛け持ちで焼肉店でも働くようになった。

「この頃は飲食店の仕事が楽しくなってきてましたね。ただ、働いて分かりましたが、飲食店は経営者にならないと収入の面で長くは続けられない。少しずつ自分でお店を持つことを意識し始めました」

このアルバイトの時期に大須賀さんにとって大きな転機となる出来事があった。

常連だった甲州街道沿いにあった「GOKIGENYA(ごきげんや)」というバーで、マスターにライブの提案をし、開催したところ大成功を収めたのだ。

「もともとマスターが音楽関係の人で、お客さんにもバンドマンや音楽好きが大勢集まっている店でした。そんな店だったので、マスターにお試しで一回イベントをやらせてと頼んだんですよ。そしたら、出演者もすぐに決まって、集客も良かったんですよ。お店としても売上が増えるから大歓迎という感じで、2回目、3回目と続いて、僕が出る順番とかを決めて、イベントとしてけっこう上手くいったんですよ」

この体験でバーとライブの可能性を感じた大須賀さんだったが、ある日、体に異変が起きる。

「体の右側が利かなくてきたんですよね。右手で持っている携帯をやたらと何度も落としたり、右足がいうことを聞かなくなってきて。2週間ぐらいそのまま過ごしてたんですけど、当時はもう結婚していたので奥さんがおかしいから病院に行こうと言って、行ったら脳梗塞でそのまま1ヶ月入院でした」

退院後は公園を毎日リハビリのために歩き続ける日々。どうにか体は復活したが、医者からは今後演奏することを禁止されてしまった。

「兄が脳の病気で亡くなっているので、自分も恐怖心があった。その一方で音楽は自分の中で、頭の上にずっと存在しているような、それぐらい特別な存在だった。だから演奏ができない、という言葉は音楽との接点が絶たれたようでショックでしたね」

これからどうやって生きていくのかを考える中で浮かんだのが、「GOKIGENYA」での経験を元にライブを中心にした飲食店を行うことだった。

同時にヒントになったのは、大須賀さんがサラリーマン時代に休暇を使って訪れたニューオリンズなどのライブバーだった。

「昔からブルースが好きで、本場で見たいとサラリーマン時代に行っていましたね。もう本当に日本とはレベルが違う、すごく技術的に高いアマチュアがゴロゴロいて、驚きましたね。あとは単純にその場の雰囲気が良かった。日本だと演奏する人、聞く人という感じですけど、そこはお客さんも含めて楽しんでいて、音楽が日本よりもずっと身近なものとして存在しているような気がしました」

やらないこと、やると決めていたこと

祖師谷大蔵のライブバーmetta

「名古屋人なので貯金はしていた」と語る大須賀さんは、祖師谷大蔵に希望していた物件を見つけ、2016年にオープンを果たす。

オープン時に決めたことがある。それは出演料を取らないことだった。

「普通のライブができるお店はオーディションがあったり、チケットのノルマがあったり、出演料があったりするんですけど、うちはそれはやらない。それは自分が出る側だった時の経験から。ステージにあがることが負担ではなく、もっと気軽に楽しんでほしかった」と大須賀さんは語る。

その一方で、店を続けるために考えていたこともある。

「前にGOKIGENYAでライブの取りまとめをやって思ったのは、プロとアマチュアだったら、アマチュアの人の方がお客さんをたくさん呼んでくれる。集客がお店の収入につながるので、セミプロやアマチュアの人を中心にしようと思っていた」

また、内装に関しても決めていたことがある。

「日本ではライブハウスというと黒が多いけど、うちは木目を生かした内装にしようと思っていた。それは海外のライブバーを見てきた経験から。向こうはそういうお店が多かった。あとはこまめに掃除して常に清潔にしておくこと。飲食店はすぐに汚れてしまうので、それだけは心がけてますね」

こうして、アマチュアやセミプロの人を中心にした、木目調の内装がオシャレなライブバーが誕生した。

「最初の頃は、大学時代の音楽サークルの仲間がよく演奏してくれたけど、次第に演奏したい、という人が増えてきて、だんだんライブの日が増えてきた。上手い下手というのは、うちはあまり関係ない。ただカラオケとか練習場ではないので、お客さんのために演奏してもらう、そこだけですね」

大須賀さんに、音楽好きがライブバーをやると好きじゃない演奏とかもあるのでは、と少し意地悪な質問をしてみた。

「うちはジャズのライブが多いけど、僕がジャズに詳しくないのでなんとも思わないですね。演奏の好みよりも、ライブをやっている人がいて、それを楽しんで聞いている人がいる。僕は病気になって演奏ができなくなったけど、その空間が好きだった。そこにずっといられる、というのもライブバーを始めた理由の一つですね」

コロナ禍でも音楽を届け続ける

2021年1月、mettaは緊急事態宣言を受けて、バー営業は休業し、注意喚起をしながらライブのみ再開など、試行錯誤をしながら営業を続けている。

「店がすぐにつぶれるほどのダメージは受けてないですけど、やっぱり仕込んでいたライブが中止、延期になるのは心配になりますよね。これまで何年もかけて積み上げてきてようやく形になる、というライブが次々に延期になると、今後どうなるんだろうという気持ちになります」と不安を語る。

最後に今後の展望について聞いてみた。

「このお店からスターを出そう、とかそういう野望は無いです。自分の演奏を聴いてほしい、という方にとって気楽に出れる場所として在り続けるように、お店を続けていくことが目標ですね」

ずっと音楽と共に生きてきた大須賀さんが病気でプレイヤーとしての道を絶たれ、たどり着いたライブバーというスタイル。その大須賀さんが作り上げた「metta」という空間は、冒頭で書いたようにバーのつもりで来たらジャズの生演奏が始まるような、音楽が身近にあるステキなお店だった。

音楽好きが集まると聞くと、やや敷居が高いように感じるかもしれない。しかし、このお店は決してそんなことはなく、まるで会話をする近くで静かに川が流れているように音楽が自然と近くにある、そんな心地の良いお店だ。

興味のある方は、同店のサイトでスケジュールを確認のうえ、足を運んでみてはいかがだろうか。

drink&music 『metta』

■住所
東京都世田谷区砧6-29-4フロンティア21 B1F

■連絡先
03-6873-9224

■営業時間
19:00-25:00

※現在は休業、または時短営業のため、営業時間等は事前にサイトでご確認ください。

■定休日
火曜日

■URL
http://metta.tokyo/

■アクセス
小田急線 祖師ヶ谷大蔵駅 徒歩5分

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