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前編では市屋苑(いちおくえん)と鈴々舎馬るこ(れいれいしゃまるこ)師匠の関係を紹介した。
今回は、馬るこ師匠のプロレス少年だった頃の話、そして落語家になったきっかけについて話を伺った。
プロレスとの出合い
――最初にプロレスを見たのはいつですか?
僕は1980年に山口県で生まれたんですけど、小さい頃は山口にはプロレス中継がなくて、中学生の時にようやくプロレス中継が始まったんですね。当時、新日本プロレスには武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士の全盛期。特に蝶野選手がかっこよかったですね!
――ご自身の出囃子が「UWFのテーマ」ですけどUWFについてはどうですか?
UWFはテレビ中継がなく、当時はビデオを買うしかなかったのですが、値段が高くて(1万円以上)ほとんど見てないので、雑誌で動向を知るぐらいしかなかったですね。ただ、UWFが三銃士のいる新日と交流戦をやる時があり、そこで初めて「UWFのテーマ」を聞いて心を奪われました。
――落語の出囃子でプロレスのテーマというのは異例ですよね
そうですね。寄席で出囃子を演奏する女性たちがいるんですけど、落語界では、その方たちが新人の出囃子を決める、というのが多かったりするんです。けど、僕はこの曲が好きだったので、自分で楽譜作ってお願いに行きました
――やってくれました?
う~ん、嫌がられましたね(笑)。ただ、基本的に落語協会がJASRACにお金を払っているので、何の曲を使ってもいいことになっているんです。ただ実はUWFのテーマを使う筋を通してないんですよ。だから、今日は事後承諾だけど、使用許可をもらおうかなと。
――なるほど。いまもプロレス観戦はするんですか?
いまは新日のリングにも出ている飯伏幸太とか、ジュニア級の試合を見ることが多いですね。
お笑いから落語の世界へ
――続いて落語の話を聞かせてください。最初に落語の世界に入ったきっかけは?
僕が落語の世界に入ったのは、2003年なのですが、その前はお笑い芸人として活動していました。もともと、ダウンタウンが大好きで、大学に入るために上京したのですが、在学中に、雑誌の相方募集などを見ながらコンビを組んでお笑いのライブに出たりしていました。
――お笑い芸人から落語というのはどういう流れなんですか?
最初はコンビを組んでやっていたのですが、どうもコンビというのが合わなくて、ピンでやるようになったんですね。その後、事務所にも所属できて、テレビ番組のお手伝いなんかをやったりして、上手くいっていたので、大学も中退してしまったんですけど、事務所がいきなり解散してしまうんですね。
――え、いきなりですか
いきなりです。それでふと自分には何も無いなと。一方で、他の人は「おれ10人人集めます」といえば、人を集めるような人脈があったりする。それを見ていて、ふと落語家の修行がいいなと思ったんです。もともとピン芸の勉強のために、一人でやる話芸である落語は見ていたのですが、その中でも「落語の修行」というものに憧れて、落語家を目指したんです。
――それも変わってますね
落語家の弟子になるならだれがいいだろう、と色々な人を見て、寄席で一番爆笑をとっていたのが、今の師匠である鈴々舎馬風(ばふう)師匠でした。
――弟子の修業は大変でしたか?
もう箸の上げ下げから直されますから、本当に厳しかったですね。僕の場合は、おかみさんに厳しく言われた、という思いがあります。それであまりに辛くてある日、脱走をするんですね。
――どこに行ったんですか?
葛西臨海公園です。海が見たくて、レンタカー借りて。3日ぐらいで帰りました。
――師匠に見つかったんですか?
僕は当時師匠の家のネコの世話もしていたので、そのネコが死んだらまずいと思ってこっそり帰ったら見つかりました。そこでおかみさんが「厳しくしすぎた、ごめんね。あんたにNHK演芸新人賞を取って欲しくて、厳しくしたんだ」と初めて本心を明かしてくれたんです
――そのあと、2013年にNHK新人演芸大賞落語部門大賞を取ってますよね。
あの時は演目を大会用に磨き上げて臨みました。受賞した時は、やっぱりおかみさんが本当に喜んでくれましたね。
――その後、2016年からフジロックで毎年落語をやってますよね
あれはフジロック側が落語をやりたい、という話が落語協会にあって、誰もやりたがらなかったけど「馬るこならやるだろう」って話が回ってきたんです。
――私も現場で見ましたけど、あれは落語を聞きに来た人というより、屋根があるから雨宿りでいるみたいなところもあるから大変じゃないですか?
唯一の屋根があるところですからね(笑)。落語には、求心力と遠心力があって、噺の世界にぐっと引き込むのが求心力なんですけど、ああいう場で必要なのは場にいる人全部を巻き込む遠心力なんですよね。
――ああいうフジロックに出るところも含めて、馬るこさんはやはり異色ですよね。プロレスでいうと、師匠たちが普通のプロレスなら一人だけ「ルチャリブレ」(メキシコのエンターテイメント性が高いプロレス)みたいな(笑)
好き好んでというよりは、それしかできない、というか、来た仕事断らないですから、気付いたら色々な仕事をやってるんです。
――落語ブームと言われてますが、中の人間としてはどう見てますか?
僕が知っている最初のブームは2005年のドラマ「タイガー&ドラゴン」でした。あの頃は、落語と名前が付けばなんでも良かった。でも、いまはあの時とは違いますね。落語の中身、芸人の質にこだわって、お客さんも分かって見に来ているような感じです。
――落語をやる面白さはどういうところにあるんですか?
例えば、能の世界だと、幽霊の動きが「速い」という表現をするために、舞台上で人間の速さを1/5にしたんですね。人間を遅くすることで、幽霊が速く動く、ということを伝えた。そういう時間を操る技法が能にはある。一方で落語は、右を向いて「おい、おまえさん」とやって、左を向いて「なんだい」とやれば、会話がつながる。時間ではなく、空間を省略することができる。その落語の観念の世界を使いながらどう作品に落とし込むのか、そういうことを考えながら落語を作ってますね。
そして、ここで鈴木健さんが登場。短い金髪に鍛え抜かれた体で颯爽と登場した鈴木さんは、馬るこさんが持参した本にサインをすると、すぐに記念撮影。その勢いのまま、焼き場に入り、安生さんが席にやってきた。
【安生洋二さん、鈴木健さんが登場!後編に続く】
市屋苑
■住所
東京都世田谷区用賀4-14-2 2F
■電話番号
03-3707-3223
■アクセス
東急田園都市線用賀駅から徒歩約5分
世田谷とプロレスシリーズ
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1978年生まれの編集者。世田谷区用賀在住。子どもは長男(7歳)、次男(4歳)の二人。歴史と散歩と釣りが好き。最近は子どもと多摩川で釣りをしたり、プロレスの歴史を調べることにハマっている。